丹とは水銀鉱石である辰砂(シナバー)を砕いて作られる、有史以前から用いられてきた赤い顔料です。
三世紀に記された中国の歴史書『魏志倭人伝』には
「倭(日本)は丹を産出する」「倭の人々は丹を体に塗っている」とありますが、
それをはるかにさかのぼる縄文時代頃から、
日本では丹が魔を祓う神聖な色として祭祀や魔除けに用いられていました。
徳島県の加茂宮ノ前遺跡は縄文から弥生にかけての国内最大規模の丹の生産遺跡として知られ、
丹の塗られた土偶や土器と共に、辰砂の原石や加工用の石臼や石杵などが大量に発見されました。
このような丹の痕跡のある土偶や土器は、日本各地の遺跡で出土しています。
弥生時代になると埋葬の際にも丹が用いられるようになります。
佐賀県の日本最大級の弥生時代の環濠集落跡である吉野ケ里遺跡では、
石棺墓の内部から丹の痕跡が確認されました。
岡山県の弥生後期の墳丘墓である楯築遺跡では、木棺の底に30kg超の丹が敷き詰められていました。
これらの墳墓は有力者を埋葬したものと考えられ、
ムラからクニへと社会が発展して支配者階級が誕生する中で、
丹が権威の象徴にもなっていったことがうかがえます。
古墳時代になり大規模な墳墓が造営されるようになると、その石室内には丹が用いられました。
卑弥呼の鏡とされる三角縁神獣鏡が発見された京都府の椿井大塚山古墳では、
石室の天井と壁面に丹が塗られていました。
奈良県の藤ノ木古墳では、丹塗りの家形石棺が未盗掘で発見されて話題になりました。
また四神の壁画で有名なキトラ古墳でも木棺とそして国宝の壁画に丹が用いられていました。
現代でも神社仏閣を丹塗り・朱塗りと呼んで赤く塗り、お祝い事には赤い色を用います。
また、魔除けとして赤い色を使う伝統も残っています。
たとえば郷土玩具の飛騨のさるぼぼ(赤い猿)や会津の赤べこ(赤い牛)には、
子供の疫病除けのまじないの意味もこめられています。
この赤い色を神聖視する文化は、古代の聖なる赤色の丹がルーツとなっています。
丹生都比売神社のご祭神・丹生都比売大神は、この丹をつかさどる女神です。
丹の力であらゆる災厄を祓う神として、貴賤を問わず篤い崇敬を受けました。
丹生(丹を産出する)という名が示すように、
辰砂の採掘地やその鉱脈上にご分霊がお祀りされていき、全国に信仰が広がっていきました。
「播磨国風土記」には、
神功皇后の三韓征伐の際に爾保都比賣命(丹生都比売大神)が赤土(丹)を授けたと記されています。
この丹で軍船や軍装を赤く染めると、船の行く手をさえぎるものはなく、
戦いにも勝利を収めることができたといいます。
神功皇后は凱旋後にその神を紀伊国の藤代之峰に鎮め奉ったとあり、
これが丹生都比売神社のことをさすとされています。
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