日本遺産

葛城修験

丹生都比売神社より紀の川を挟んで、和歌山県と大阪府の境にそびえる和泉山脈、そしてそこから北へと広がる金剛山地。葛城山系と呼ばれるこの峰々は、古より神々の住まう山とされてきました。

今から約1400年前、この葛城山系に一人の行者が現れました。葛城山で修行し、神通力をもって空や海を自在に渡り、鬼神をも使役したという、役小角(役行者)です。役行者は、日本古来の山岳信仰に仏教や陰陽道、道教の思想を取り入れ、新たな山岳信仰の世界を導きました。

役行者の紡いだ山岳信仰に、更に神仏習合と密教の思想が融和して形作られたのが、現在まで伝わる修験道なのです。それは、紀伊山地一帯の神仏融和の信仰世界の中でも、重要な構成要素となっています。

葛城修験では、丹生都比売神社を重要な霊地とみなしました。明治時代の初めまでは、修験者が当社のご神体を背負い、役行者が法華経を埋納したと伝わる、葛城二十八宿を巡る神事が執り行われていました。(現在では夏祭の神還祭として名残をとどめています)

境内を流れる祓川を渡り、かつての多宝塔跡を先に進むと、役行者を祀る石厨子の前に、大峯の修験者による五輪卒塔婆が並びます。当社の境内では、今も山伏姿の修験者を目にすることがあり、境内に法螺貝が鳴り響くことも珍しくはありません。令和3年からは、修験道の奥義とされる柴燈大護摩供も執り行われています。

葛城の修験道は、令和2年に「葛城修験 -里人とともに守り伝える修験道はじまりの地」として日本遺産に登録されました。当社もその構成文化財の一つとして登録されています。